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二つあった新グタイピナコテカ構想

芦屋市山手町

グタイピナコテカは阪神高速道路出入口工事に伴い1970年4月15日に吉原治良個展を持って閉館した。当時は「現グタイピナコテカ」を引き継ぐ「新グタイピナコテカ」を新たな構想のもとに約一年後に再度、大阪市北区堂島にスタートさせようと模索し、暫定的に「グタイミニピナコテカ」を開設して活動を続けた。この間、芦屋ルナ・ホール設計者の建築家山崎泰孝に依頼した奇抜な「新グタイピナコテカ」のスケッチが残っているが、吉原死去のために建築は実現していない。より現実味のある「新グタイピナコテカ構想」の模型の写真が残っている。同じく山崎が手がけたものとされ、芦屋市山手町の角地を想定して、スリット状横窓や南面への眺望を取りいれて、芦屋ルナ・ホールの建築様式との一体感と連続性を強く伺わせるものだが、詳細不明である。

 

 

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