コラムCOLUMN
グタイピナコテカ
大阪市北区
グタイピナコテカは、1962年8月、江戸時代末期の土蔵3棟をリノベーションして建てられた。土蔵は吉原治良の家業である吉原製油の倉庫として使用されていたもので、吉原自身が所有していた。敷地は約440㎡、建坪約300㎡の2階建て構造で、1階と2階の半分が展示スペースとして活用された。「ピナコテカ」は「絵画館」を意味し、命名はアンフォルメルの提唱者であるミシェル・タピエによる。大阪中之島美術館から徒歩で2〜3分の立地で、大阪市北区宗是町33(現在の大阪市北区中之島三丁目)、吉原治良の本宅対面に建設されたが、現在は高層ビルが立ち並び当時の姿を見ることはできない。
「『具体』という枠に閉じこもる考えはありません。(中略)時としては意義ありと認められる個展その他の展覧会を開いて新人の発見、国際交流などのためにも役立てたいと考えています」(註)と吉原が述べたように、グタイピナコテカは常時メンバーの作品が見られる場というだけでなく、外部の人々との交流の場としても機能しており、「具体」と社会を繋ぐ場所でもあったといえる。
関連作品
註 吉原治良「グタイ ピナコテカの開設に当って」1962年
関連場所
旧グタイピナコテカ跡地 大阪市北区中之島3-4-15